5年間でやってきたこと・やってこなかったことのすべてが腑に落ちる瞬間を味わいました。
久々に私事を書きます。
先日、沖縄へ行きました。
何のために沖縄に行ったのか?というと、
5年前、行きたかったけど行けなかった安室ちゃんの引退ライブへの後悔を消化しに…、です。
5年前の引退ライブの日、私は最悪の気分で家にいました。
子どもの様子がなんだかおかしいなと気づきながらも、そのよくわからない不調に対応しつづけ、振り回される日々にうんざりしていたからです。
本当は、引退ライブの感傷にひたりたいのに、感傷を通り越して、どん底の気分でした。
大好きな安室ちゃんの引退という大切な日なのに、子どもへの恨みつらみをこぼしながら、作りたくもない晩御飯をキッチンで作っていたのを鮮明に覚えています。
思えば、あの日から転げ落ちるように、さらに暗黒の日々を迎えることになりました。
子どもはその後みるみるうちにエネルギーがダウンしていき、学校に行けないどころか、「生きている意味がわからない」という状態になっていきました。
私はもう恨みつらみを子どもにぶつけることすらできず、「とにかく生きてほしい」という懇願に近い気持ちで、毎日つなわたりのような毎日を過ごしていくようになるのです。
あれから、5年…。
あのときからはまったく想像もできなかった世界の見え方を知った私は、沖縄の地に降り立ちました。
5年前まで私が必死に子どもにやっていたことは、決して間違っているわけではなかったけれど、
でも、何よりも「子どもが苦しんでいたから」
なにかがうまくいっていないんだということだけはわかりました。
その「なにか」を変える必要がありました。
でも、その変えるべき「なにか」がずっとわからなくて、私は長いこと試行錯誤してはうまくいかずに苦しんでいました。
今回の沖縄で、はっきりとわかりました。
以前の私は、ある事に対して、自分が【A】という意見を持っていたとき、真綿で首を絞めるようにとても優しく、子どもにも【A】を薦めていました。
でも、今は違います。
私が【A】という意見を持っていることは子どもに伝えるけれど、子どもの意見は【B】なのか【C】なのか、はたまた【X】なのか?(←突拍子もない意見が出るこのパターンが多い…)をヒアリングします。
家族の中で意見がバラバラの場合でも、
お互いの意見を認めた上で、
「じゃあどうするのか?」をそれぞれが相手の意見を聞きつつ歩み寄って新しく提案し合える、
そういう環境があることがとても大事なんだということ。
子どもは、納得できないのに親の【A】という意見に合わせることはもちろん嫌だし、
逆に
親が軽々しく【A】という意見を捨てて、子どもの【X】という意見を採用することも望んでいないんです。
こんなシンプルなことに気づくのに数年かかってしまいました。
気づいてからも、家族内のルールを変えていくのに、また数年かかりました。
「わがまま」と「あるがまま」の違いってなんなんだろう?
わたしがわたしのままで生きるって具体的にどういうことなんだろう?
その答えを自分で編み出していくことになった沖縄旅行中、
「自分は沖縄には行けない。家に居る」
という選択をした子どもが、
「洗い物した」「解説動画を参考にして、ごはん炊いてみた」と写メつきで連絡してきました。
このとき、私の中で腑に落ちるものがありました。
私たちが旅立つ前日、子どもが「ちょっと不安」とこぼしていた子どもだったけれど、不安はありながらも
一人で立ち上がってみたんだな、と。
「子どもが留守番していて、なにかあったらどうしよう?やめた方がいいのではないか…」
次々に湧き上がる不安を抱えながら、それでも、「今、私に必要だ」と感じて旅立った私は、ひっそりと「子離れ」がキーワードのチャレンジ旅行だなと考えていました。
ですが、まさか「めし~」しか言わない子どもが自分で行動して自分のために家事するなんて!
私の想定を超える行動に、本当にびっくりしました。
「子どもにはいつか自立してほしい」
と親はどこかで願っていますが、
その自立へ向かう手段や経緯は、子どもによってまったく違うんです。
「勉強して、スポーツもそこそこできて、自分の意見も主張しながらも周りにも合わせられる。主体的に進路を選択しつつ、自分のやりたいことをやって人生を楽しんでほしい」
そうやって、挙げればキリがない子どもへの望みを足し算していけばしていくほど、子どもはどれを叶えればいいのかがだんだんわからなくなっていき、最終的に目的地を見失います。
「自分がつぶれてでも親を笑顔にしてあげたい」
「親を安心させてあげたい」
そんな子どもの気持ちを当たり前のように受け取っているうちに、いつのまにか親子関係がいびつになっていく。
今の日本の一般的な親子関係は、目には見えない部分で様々な問題をはらんでいます。
あなたはどう感じていますか?
自分自身の親との関係はどうですか?
私は、子どもの不登校をきっかけに、想像以上にたくさんのことを見てきました。
不登校が問題なのではないのです。
これからも、子どもたちはいろんなメッセージを発してくるでしょう。
そのメッセージを受け取れる自分で在るために、そしてメッセージを翻訳して周りに伝えられる自分であるために、「どうしたらいいのか?」を一生模索し続けていくのが、これからの私のミッションです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます☆彡
2023.9.20.
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